世界共通語、補助言語であるエスペラントで一緒におしゃべりしませんか?

管理人のつぶやき

信託博物館に行ってきました

「信託博物館?何それぇ?」
と思うのが普通ではないでしょうか。僕もその一人でした。
「博物館」という言葉を聞くと天井が高く、少しひんやりしていて、声が響き、広いスペースの中に展示物が設置されている場所を連想しますが、実際には「ギャラリー」というスペースでした。空調もしっかり効いていますので快適です。
場所は日本のド真中、東京大手町です。
実際に訪れて入ってみると、
「信託に関して色々な資料等を集めた場所」
と思って頂いて構いません。
信託の歴史等は大体インターネットで拾えますが、博物館でしか味わえない事もありますので興味深かったです。
その一例として、

  1. その当時の「ユース」という仕組みをまとめた文章(法律と言っていいのだろうか?)が展示されている事
  2. 有名な方の信託的な仕組みを使った遺言書が展示されている事
  3. ヨーロッパでの信託に関しての歴史的流れをパネルで展示されている事
  4. 日本においての信託的な考え方から信託というものに発展していった歴史的流れを壁面いっぱいのパネルで展示されている事

それに加えて、期間限定で「世界の信託 あれこれ」と題して
「信託」に類似する仕組みが世界中の様々な国で使われている事が紹介されている事
その様な国では「信託」という単語ではなくその国独自の単語で使われている事

という事を知る事ができます。

私は、この「ギャラリー」で粗品ももらわず小一時間ひたすら展示物を観ていましたので、かなり変な人に思われたことでしょう。
一つ残念な事は英文が読めないので英文の展示物を観てもその内容を読めなかった事でした。(それに加えて筆記体ですので更に読み辛い)

東京駅のすぐそばにあります。平日のみですのでなかなかこれが為に足を運ぶ機会をつくる事は難しいと思いますので、何かの折にチョコット寄ってみてはいかがでしょうか。

遺言書の内容について他の家族は知る事が出来ない

先日、遺言について相談されました。
『配偶者が高齢で入院中です。このまま亡くなった時の事を考えると遺言書を作っておいたほうがいいのではないか?』

「そうですね。その通りです。」

『どうすれば遺言出来ますか?』

「自筆による方法、公正証書による方法があります」

『遺言の内容を家族で色々考えたいのですが・・・・』

大体、遺言について私に相談される時、このようなやり取りをよくします。

遺言とは、「死後の法律関係を定める為の最終意思の表示」なのです。

自分が生きている間は自分自身で自分の事について決めるけれども、
自分が死んでしまった後は、自分のことについて自分自身で決める事ができない。

特に自分の財産の処遇ついても同じことで、自分自身で決める権利があるのだから、自分が亡くなる前に予め決めておこうではないか。

これが遺言なのです。

つまり、遺言は自分自身の財産について、自分の死後の処遇についての最終的な考えを表明するものなのです。
そうであるならば、遺言をする場合、
周りのご家族の意見を組み入れるとか、
家族の了解を得てとか、
家族会議で決まった事とか
その様な事を遺言にしたためたい、というのは遺言ではないのです。
自分1人で、誰の指図も受けず、自分の意思に基づき、文章にする。
このような書面を『遺言書』というわけなのです。

とはいえ、先程の相談された方の気持ちもわからないわけではありません。
遺言の内容が遺されたご家族の事を考えてくれているのかどうかわからないわけですから心配でなりません。

相談者だけでなくそれ以外の遺された後のご親族の事を考えて私に相談されたにもかかわらず、いざ遺言書の内容を知る段階になってみたら・・・・。

「あれほど色々みんなで議論して決めた事なのに・・・なんで・・・よりによって○○とは・・・」
なんて事が起きる虞もあるからです。

それでは、先程の相談者の気持ちも考えた仕組みなんてあるのでしょうか?

つまり、死後の財産の処遇について、ご親族もある程度把握できる仕組みってあるのでしょうか?
遺されたご親族の事を考えた遺言に類似する仕組みってあるのでしょうか?

実はあるのです。
『遺言代用信託』
この言葉をお聞きする事があるかと思います。
まさにこれが上記を満たす仕組みなのです。

現在においてはインターネットで色々な方が『遺言代用信託』について説明されていますので,
検索して頂ければある程度その内容を把握できます。
もっと詳しく知りたい、直接聞いてみたい、とお考えの方はどうぞご連絡を。

「遺言代用信託」『遺言代用』『信託』
分解するとこの様になります。

そのこころは
信託の仕組みを使って遺言そのものの代わり、ではなく、
信託の機能を使って遺言よりご親族の事を考慮した遺言のような事を実現できる仕組み
これを『遺言代用信託』というのです。

信託って本当に凄い!!

相続ではなく争続

治療より予防が大事という事は言うまでもありません。
以前は病気にかかった後に病院に行って治す。これが普通でした。
現在は、病気になってからでは遅い、そうなる前に予防すべきだ!
というのが大方の意見かと思います。
インフルエンザに関しても、マスク着用、帰宅後はもちろん、こまめに手洗い、うがい、を徹底するといった予防措置を行うよう宣伝されています。

では、相続が起こった場合についてもあてはまる事があるのでしょうか?
あるとすれば、それは『争続』という病気が考えられます。
「争続」という病気に罹ったら治療しなければならないのですが、その治療は病状が複雑ですのでかなり難航します。
では、何か予防ができるのでしょうか?

お亡くなりになった後、お亡くなりになった方の遺された財産が原因で相続人同士の関係がそれ以後ぎくしゃくしてしまった。

あまり宜しくない展開ですね。
その原因はどこにあるのだろうか?インフルエンザのように原因を特定できるのでしょうか?

それを特定できればスパッと解決できるのですが、どうも特定しずらい問題のようです。

特定できたとしてもそれがわかる(意識し出す)のは(わかるとはいかないまでも原因らしきこと)問題が顕在化した時なのです。
その時期は大体お亡くなりになった後に、利害の関係する人達の言い分が表明された時、つまり病気で言うならば、既に治療が必要な時期なのです。

では、その様な事を避ける為に予防するにはどうしたらいいのでしょうか?原因は?

原因の一つには、ご自身の財産について責任をもった対応をしないままお亡くなりになり相続が発生してしまった、という事が言えるかと思います。
「責任をもった対応」、つまり
(私の意見としては)、自分の財産の処遇については自分で責任をもって決める義務的責任があると考えるのです。

「後は頼む!好きにしろ!」と言うように結果的になにもせず、その様な義務的な事を果たさなかった。

これが争続発生の原因の一つではないかと思うのです。

それでは予防措置として考えられる事はどのような事なのでしょうか?

一つの方法として『遺言』をする、という事が考えられます。
自分の財産の今後の使い道を明らかにしておく

というように、最終的な意思を表明することによって、遺されたご家族の為に道標を示しておけばある程度予防できるのではないでしょうか。
ご自身が他界された後、遺されたご家族が迷うことのないよう道標を示して頂きたいと感じています。

「好循環に承継していく家系財産」の信託

信託をすることにより得られるメリットは色々な専門家の方が仰っているように

信託した財産は、委託者、受託者(信託設定当事者)の財産から隔離され、
分別管理する事により一定の要件の下で、
信託財産に対して信託財産に関する債権者を除く債権者からの差押え強制執行をすることができなくなる

信託設定当事者が破産という事になったとしても破産債権者から信託財産に対する差し押さえを回避する事ができる

信託設定当事者が意思表示をすることができなくなったとしても信託財産を信託の目的に従って管理等を継続できる

信託設定当事者がお亡くなりになったとしても信託財産を相続財産として扱わないので遺産分割協議で分割される事を回避できる

これらの結果

当初、信託を設定した時の「信託する思い」を壊される事なく継続できるのです。

この『「信託する思い」を壊される事なく継続できる』という信託の仕組みでもありメリットでもあることを上手に利用できないでしょうか?

例えば、ある人がお亡くなりになった時の事を考えてみましょう。
親族は、葬儀を行う事になるのですが、当然の事ながら葬儀費用が発生します。その費用は場合によりますがかなりの高額になる事もあり得ます。

普通に考えれば、お亡くなりになった方の為の葬儀ですので、お亡くなりになった方の財産の一部である預貯金を払い出し、それら費用を支払う事ができればいいのですが、

現在では「預貯金は相続財産であり遺産分割協議の対象である」ので遺産分割協議が整うまで預金口座はロックされ払い出しを行う事はできません。

この様な状況となった場合、

その費用は通常、代表相続人が立替えて支払ったりするのですが、果たしてその時、その額を容易に工面する事ができるでしょうか?

これは日常よくある光景です。
この様な苦いご経験のある方もいらっしゃると思います。

この様な苦労を回避する為に信託の仕組みを利用する事ができるのです。
つまり、
信託を設定するときの「信託する思い」は、
『「自分が亡くなった後、相続人の苦労を少しでも軽減し、恙なく葬儀を行ってほしい」との思い』であり、それを壊して欲しくない。

それを実現するために葬儀費用としてそれに見合う自分の財産を信託する。

この様な信託を設定しておけば、相続人の方々(特に葬儀費用を工面しなければならない方)の負担はかなり軽減されるのではないでしょうか?

これ以外にも副産物が生まれると思います。
この信託のメリットを享受できたご自身(当初相続人)も同じように人間ですのでいつかはこの世から去る日が来ます。

その時、同じような状況が発生すると容易に推測できます。そこで先程と同じような内容の信託を設定する事により、その相続人(当初相続人の相続人)となる方の負担を軽減することができます。

その信託のメリットを享受できたご自身(当初の相続人の相続人の相続人)も・・・・・・。

といったように次世代の方々を思いやる信託的承継が生まれるのです。
このような信託的承継こそがそのご家族の家系の財産となるのです。
素晴らしいと思いませんか?
もっと先進的に言うならば、この様な信託の設定がそのご家族の家系だけのものではなく社会一般的になって欲しいと思っています。

『相続手続費用信託やってないのぉ?ダメじゃぁ~~ん!』

『そうだなぁ、俺(私)が相続人となった時の事を思い返してみるとたいへんだったなぁ。あの精神的、金銭的、時間的負担は辛かった。自分自身の相続人(一般的にはご子息)に対しては、あのような負担を軽減してあげなきゃなぁ』

このような会話が普通に聞かれる世の中になって欲しいものですね。

こういった次世代の方を思いやる信託的承継は、そのご家族の「世代を超えた家系の財産」であるといって良いのではないでしょうか。

今年の抱負

今年の抱負として
「亡霊との決別、そして更なる深みへ」

信託とは、

特定のものが一定の目的に従い
(専ら当該特定のものの利益をはかる目的を除く)、
財産の処分及び当該一定の目的に従い必要な行為をすべきものとする事

をいう。

読み返す度に思うのです。
「面白い!」
しかし、なかなか素直に読めない。
と、感じてしまうのです。
なぜなんだろう?と考えるわけです。

私達にとって身近に「信託」を感じるものとして「投資信託」があります。

逆に考えると「投資信託」しか身近に見当たらない。
というのが現状です。
これが「素直に読む」事ができない原因なのではないかと思うのです。

「投資信託とはどのようなものなのか?」という問に対して説明する場合、

①誰かが金融機関にお金を投資する(お金を預ける)
②そしてその金融機関等がそのお金を運用する
③その運用による利益をお金を投資した人に配当する

大体これが一致の認識ではないかと思います。
しかし、これは「信託」という仕組みを使った色々考えられる中での一つの形態でしかないのです。
このように一握りの形態だけが突出して私達の目に触れる現状、言い換えれば、この歪な現状が「信託を素直に読む」事ができなくなっているのです。

じゃぁ、素直に読むにはどのようにすればいいのでしょう?
そのまま読めばいい!のです。
しかし、私達は歪な現状のなかで過ごしている時間があまりにも長い(大正の時代から)のでなかなか素直に読めないのです。

他の国ではどうなのでしょうか?
欧米では、日本の「信託」に似た仕組みの利用は日本より歴史があります。(厳密には日本においても信託に似た仕組みを使っている古い歴史があります)
紆余曲折ありましたが、現在ではしっかりと私達のような普通の人々の中で根づき、上手に利用している現状があります。
利用という事だけではなく、更なる発展を遂げているのです。
「投資」の場面だけではないのです。

様々な場面において、何かをする際、メリット・デメリットが必ず存在します。
そのデメリットの部分を「信託」の仕組みを利用する事により緩和できれる事がいっぱいあります。
補完的に利用する事もあれば、代替で利用する事も可能です。
もちろん、メリットをさらに上乗せする目的で「信託」の仕組みを使って補完したり、代替えする事も可能です。

それを可能にするためにも、
「信託とは」を素直に読むという事が大事なのではないかと感じています。

先ずは、先入観という亡霊を取り払うことが必要です。
まだまだ私も発展途上です。
今年の抱負として
更なる信託という世界の中に入り込んでいき、必要とあれば皆様も引き入れていきたいと思っています。

インターナショナルフェスティバル(船橋アンデルセン公園)に参加して

平成10月28日アンデルセン公園で開催されたインターナショナルフェスティバルに参加しました。
専用ブースを設置してエスペラント語を知って頂き、実際に体験して頂く活動を行いました。
私達の専用ブースに着て頂く呼び水としてフェスティバルのイベントの一つ「スタンプラリー」に登録しました。
これは園内数箇所に専用スタンプを押す場所を全て回れば景品がもらえるというものです。

又、私達のブースでも独自に「国当てクイズ」を実施しました。
「国当てクイズ」に参加されたご家族は80組、その内エスペラントについて詳しく質問された方が8組。私達の独自イベントはかなりの効果があったと思います。
クイズに参加された方に対し、景品として「世界の切手」を配布しました。
何気ない気持ちで景品を「世界の切手」にしたのですが、幸運な事もありこれが大好評で、子供達が目を光らせてお気に入りの切手を探していました。
時代の流れもあって切手自体が珍しく思われたのでしょう。私自身、殆ど手紙を書いたり、送ったりする事が無くなっている事に気付かされました。その副産物として、字を書こうとすると汚く、簡単な漢字すら忘れている有様です。

ブース設置時間が6時間余りでしたが、長くもなく短くもなく天候も味方して終始和やかな雰囲気で行う事ができました。

インターナショナルフェスティバルの催しとしてイベントドームでの挨拶では、F,川端さんが壇上に立ってエスペラントを紹介して頂きました。

活動の目的
今回の活動の目的は
①エスペラントという言葉があるという事を知って頂く

②実際に使われている事を知って頂き、実際に体験して頂く事

③未来のエスぺランチストの芽を育てる事
としました。

その成果としては
①、年代によってエスペラント語に対しての受け止め方が違っている事を改めて感じました。
②、エスペラント語の存在を知らない方々にとっては非常に有意義な時間だったのではないかと感じました。
あまり知られていない他の言語と同じ気持ちで参加者が臨まれていたように感じ、抵抗感なくエスペラントを紹介できたのではないかと思いました。
 「エスペラント体験コーナー」を設けてお子さんと一緒に親御さんの方も簡単な言葉を発声して頂いたのですが、ローマ字読みで、ある程度事が足りる言葉ですので、ご家族で楽しく簡単に体験されていました。
 よくある事ですが、親御さんよりお子さんの方が順応性に長けていますのでお子さんの方が積極的に体験されておられました。
 その様な状況でありましたので、③の目的も達成されたのではないかと思っています。

私見ですが、エスペラントを未来に残し、広く世界に広める為には、未来の主役である方々に対しての取り組みも必要なのではないかと思います。その様な活動を続ける事が、世界の平和という発案者の願いを達成する事ができるのではないかと思います。
その意味では、今回の活動は100点満点ではないかと自負しております。

1人暮らしの世の男性の方々へ

男性の体臭は夏場だと自分でも少し気になってしまう程他人に不快感を与える事がしばしばです。
お風呂で体を洗って綺麗にして、体からは臭わなかったとしても、Tシャツやポロシャツなどを着ようとする時、洋服が凄い異臭を放っている事があるかと思います。
人を瞬刹する程の劇臭、体臭より数倍不快な臭いを放っているのです。何故これ程まで攻撃力が育ってしまうのだろうか?

勝手な推測ですが
①洗剤と体臭が絶妙にコラボレーションしてしまった
②2層式の洗濯機(お若い方はご存知ですか?)はグリグリと洋服を洗っていたけれど、全自動はそれに比べて活発に動いていないから
③時代の流れで節水タイプが多くなっている
という事ではないかと・・・・。

「なんでこんなに臭いんだろ~ぅ?」
となった事がありませんか?
実は、私もその一人でした。
その服を着た瞬間、この服を着て出かけたくないと思い直ぐに脱ぎ捨て、他の服に着替えたりしているうちに出かける時間が遅れてしまうなんて事がしょっちゅうでした。

何はともあれ、洗濯したにもかかわらず服が臭いなんてどうゆう事なんでしょうと、思ってしまうわけです。

私は洗濯をしているのだろうか?」と考えてみた時、「どうやら私は洗濯をしていないのではないか?」と思いました。
全自動洗濯機の中に、一日(あるいは数日)のお役目を終えた服を放り込む事が「洗濯をした」と言えるのだろうか?
と思ったのです。

そこで、どうやったら簡単にこの私の残臭を無くすことができるのだろうか?と思い、色々試してみました。

(チャレンジ1)
初めに、シャワーを浴びる際に洗う服をお湯等で下洗いをしてから洗濯機に入れて普段通りにスイッチオンをし、完了後に干してみたところ、かなりの効果がありました。ほとんど問題は解消されていたのです。

「何だ、よかった」とその時は一安心したのですが、これを毎回お風呂タイムに下洗いとなると結構面倒な作業なのです。

(チャレンジ2)
もう少し楽な方法はないものか?
イメージとしては、水にこの問題となる成分が溶けてから洗濯機に放り込めばいいのでは?と思い、少し大きめのボウルに一日漬け置き洗いをしてから普段通りに洗濯機にドスンと入れ、洗剤を入れスイッチオンをし、完了後干してみました。

これがうまく機能したらラクチンだぁ~~!と期待しながら乾くのを待った次の日

結果は、問題解消までには至らず、原因物質がしつこく残っていたようで、残臭を放っていました。

若しかしたら、漬け置きした時の水が少なかったからダメだったのではないか?残臭物質が強烈に多くて水に溶け込まなかったのでは?
じゃぁ、浴槽に水を張って漬け置きしてみようか?

と思ったのですが、水の無駄使いのように思えて試す気が起こらず、
次の一手を模索すること数日後、
「パッ!!!!!! 洗濯層に水を張って漬け置きしてみたらどうなの?」と、閃いたのです。
「これが上手くいったら私は天才だ!!」などと考えながら試してみたのです。

(チャレンジ3)
一日頑張った服達を洗濯層に入れ、スイッチオン!
重量が軽かったので水が少ししか注入されないという洗濯機君の融通の無さに暫し考えた後、

初めに服達を水にしっかりと濡らしてから洗濯層に入れスイッチオンをすると満水まで注入させる事に成功!

漬け置きタイムはいか程にすればいいのだろう?
満水後、暫くぐるぐる回ってもらいスイッチオフ(この時点で既に水は濁っていました)

1時間程度漬け置き後
洗剤投入、スイッチオン!
結果は、目標まで7割程度クリアー! かな?でも、まだ臭う!

(チャレンジ4)
2時間程度ではどうか?
結果は、目標にほぼ近い!頂上に着いたのでは?という出来栄えでした。
洗濯機の再起動を忘れて翌日まで放置してしまう事のないようにして下さい。

物ぐさな一人暮らしの世の男性の方々!これを参考に自分なりに「イノベート」してみて下さい。
尚、洗剤を2種類以上混ぜる等といった本来の使用上を逸脱したイノベートはやめて下さい。

 これを試してもご自身の残臭が残っていたら、1時間漬け置き後、水を入れ替える作業をして、更に2時間漬け置きをしてから洗剤を入れてスイッチオンしてみて下さい。

信託法上の信託とは

「信託」について説明をする際、色々な説明の仕方があります。
委託者、受託者、受益者という言葉を持ち出して説明する方法
「例えば」を使って説明する方法
これらが一般的なのではないかと思います。
実際、僕自身もそうなのです。

そんな中、あるとき信託法を眺めているとある事に気付きました。
信託法に載っている信託の説明(いわゆる定義)に「信託とは」という条文があります。「信託とは」という事ですからまさしく

『「信託」とは何ぞや?』の答えが書かれているという事にほかならない。そこにはこの以下のように書かれている
信託法第2条1項(一部省略)
この法律において、「信託」とは、次条各号に掲げる方法のいずれかにより、特定の者が一定の目的に従い財産の管理又は処分及びその他の当該目的の達成のために必要な行為をすべきものとすることをいう


あれっ?委託者も受託者も受益者も出てこないではないか!
という事に気付いたのです。(今さらかよ!)
僕としては信託という仕組みを知って以来、信託を「僕の恋人(僕の中では「託子」と命名)」であるかのように前のめりになって知ろうとしていたのですが、どうも根本から解っていなかったことにショックを受けました。

託子ゴメン。教えてくれ!
その様な気持ちで改めてこの条文を分解して理解しようとしてみます。
この法律において→信託法上
「信託」とは→信託とは
次条各号に掲げる方法のいずれかにより→書面で
特定の者が→ある人が
一定の目的に従い→ある目的に沿って
財産の管理~~~及びその他の当該目的の達成のために必要な行為をすべきものとする→ミッションを遂行する
ことをいう→ことをいう

まとめてみましょう
信託法上、信託とは、ある人が、ある目的に沿ってミッションを遂行することを書面ですることをいう


そうなると、書面にする前から信託は存在している事になる。
やっぱり委託者、受託者、受益者なんて出てこない。

それではいつから出てくるのでしょう?
信託法2条2項4号
書面で「信託」をする者を「委託者」と定義されています。

(この条文からも書面にする前から信託は存在していることがわかる)
同法2条5号6号では
これらの書面で「受託者」、「受益者」を定めると定義されています。
これらの事から考えると書面で定めてからという事になります。

つまり、信託について説明する際、信託は書面でする前から存在するものであり、委託者~~~はまだ存在していない。にもかかわらず、委託者~~~を使って説明するのはどうなのだろう?


信託を説明する際、委託者、~~~と説明するのは間違っているのだろうか?

僕としては間違っていないと思います。何故なら、説明を聞きたい知りたい人は信託の仕組み、効力発生後の各々の役割、その者の名称、対象財産等々信託全般について聞きたい知りたいと思って聞いていると思われ、聞かれた方もそれを見越して説明した方がいいのかな?と思い、全般的に説明する(のが普通?)からです。


それでいいのだろうか?やっぱりちゃんと信託法上の「信託」について説明しなければいけないのではないか?

これについてはよくわからないけれども、もうそろそろ信託法上の「信託」について初めから説明をしてもいい時期なのではないかと思っています。

託子ぉ~~~!どお思うぅ~~?

信託ってどんな事なんですか?

信託って何ですか?
このような質問をうける事があります。
正直に言って一言で言い表す事が出来ないというのが本音です。なぜなら、信託は変幻自在、どのような場面でも利用する事が出来るのです。
信託に詳しい専門の先生方のお話を聴いてみたり著書を読んでみてもどうもしっくり頭にイメージできない。
実際、その先生方もはっきりとイメージできていないと思われる。
ここで誤解のないようにお願いします。この様な先生方は信託を十分に理解されているのです。
信託を(聞いた事がない人に)上手に伝える言葉、一言で理解できる言葉や表現に苦慮をしているというだけなのです。
例えば
「ある財産が信託財産となった時には、その信託財産は誰のものでもなくなる。」と言われたらどうでしょう?
(誰のものでもなくなるってどういう事だろう?)
というイメージできない事が生じる
「受託者は信託財産とは太いパイプで繋がれていて信託財産を管理や処分する事が出来る」
(それを表す図を見せられても何となくしっくりこない)
「財産を拠出する委託者といえども信託の目的以外で信託財産を利用する事が出来ない」
(イメージできる。けれども委託者ってかわいそう)
信託とは水の上に浮かぶ油のようなもの
(なるほど、変幻自在でつかみどころがないという事なんだね。・・・・?という事はやっぱりよくわからない)

なぜこのように説明しづらいのだろうか?説明を受けてもイメージしづらいのだろうか?
要するに信託法に「信託財産は誰のものでもない」と言ったように書かれていないからだと思うのです。
(書かれていたとしてもわからいかもしれない・・・)
先程の先生方は信託法を初めから終りまでじっくりと読み理解し、その後、「あっ、こういう事だったのか?」と信託のイメージをそれぞれに表現したのではないかと思う。

僕自身まだまだよくわからない事が多いのだけれど、このような先生方の著書等を読んでいくうちにそれなりにイメージが湧いてきたというのが現状です。
正しく伝わるとは思っていないのですがあくまでも信託に関してのイメージですので御了解を。

「信託とは管理されたヘソクリである」

これが現在私が信託に対してのイメージです。
ヘソクリを管理しているのです。

例えば
お母さんが子供が成長していくうちに教育資金の確保が必要だと思っているとします。
いざ子供が海外留学したい等と言われるその時に備えての資金をどう確保するか。
確保する程でもないけれど少しは備えておきたい。
そんな時お母さんはお父さんの毎月の給料から少しずつヘソクリをして資金を確保しようと考えるのです。
お父さんのお小遣いを減らしたり夕食の一品を減らしたり何とか確保しようと考えます。
ある時、お母さんの友達からお母さんに電話がきて週末に銀座で美味しいスイーツを食べる会合があるとの連絡を受けました。
久々の友達からの連絡であり話もしたい、スイーツも魅力的。どうしよう?
思わず、「行きます!」と返事をしてしまいました。

その後、思ったのです。
お金はどうしよう!
ある程度切り詰めた生活をしている中でそのような余分なお金はない。
そのような中で頭に浮かんだのです。

そういえばヘソクリがあったっけ!!

お母さんはそのヘソクリから少し拠出して楽しい週末を過ごしてしまったのです。

このような事がこれからも頻繁に起こってしまったら子供の海外留学宣言に対応できるのでしょうか?
出来ませんよね。
では何故、このような事が起こってしまったのだろうか?
ヘソクリとしていたお金をお母さんが(子供の海外留学宣言前に)自由に出し入れ出来たからではないでしょうか?
もし、ヘソクリとしたお金をお母さんが自由に出し入れできない仕組みにしていたのなら?
お母さんは子供の海外留学宣言に対して「海外と言わず宇宙でも何処でも行ってらっしゃい!」と言えた筈です。

最初の子供の将来の為にお金を貯める宣言を守る

他の目的で自由に出し入れできない仕組み

子供が使えるようにお金を管理する

これが「信託するという事なのではないかと思います。

これが私の信託に対するイメージです。
如何でしょうか?
庶民的なイメージしか湧きませんが、少しイメージできましたでしょうか?

信託とマイノリティ

マイノリティという言葉を耳にするけれど、感覚的にどのような意味なのかを感じる事が出来るけれども、正しくは知らない。
ですのでググってみました。

マイノリティ →少数。少数派。 反対語としてマジョリティー

「少数派」とうことだから世の中にマイノリティである人達は少ないのだろうか?
色々なジャンルのマイノリティな人たちがいると思う。
若しかしたら世の中でマイノリティな人達と言われている人を集めてみたらマジョリティだと言われている人々より多くなってしまい、マイノリティーな人々が実はマジョリティーであるという逆転現象が起こってしまうかもしれない。などとくだらない事を考えてしまうのです。

そんなマイノリティーと言われている人の中で性的マイノリティーと言われている人達が存在する。
これと同義語として「LGBT」という単語を使っている人が多いのですが、どうもそう単純に同じではないらしい。という事を知りました。

多分ですが、「性的」という言葉を使う事により性行為を連想し、本来の意味から逸脱して理解されてしまうので『性的』という言葉を使わずに同じような意味の言葉、もう少し言い易い言葉、かっこいい言葉、耳触りの言い言葉として「LGBT」が候補に挙がったのだろうと感じています。

この様な方々はお互いに「パートナー」という言葉で表わす事が出来るけれども、「夫、妻、配偶者」等という言葉で表す事は今の日本の民法では許されていないのが現状。
お互いが普通の夫婦以上にお互いを愛し愛されているにもかかわらずそのように呼ぶ事が出来ない。(当事者としては悲しい現実)
つまり、民法上の配偶者と呼ぶ事が出来ない事になり、どちらかが死亡した後に残されたパートナーはその方の親族とは違い当然に相続人にはなれないのです。

相手の事の将来を考えて「遺言」でなにがしかの財産を遺贈する事は出来る。実際にその場面を想像してみると、残されたパートナーとしては亡くなった方の親族に負い目を感じる事があるのではいだろうか。

その1つの原因として、遺言の限界があると思われる。
例えば、現在パートナーと住んでいる不動産があり自分の死後も残されたパートナーが何の負い目もなくここに住み続けられるようにと「この不動産を残されたパートナーに遺贈する」としてしまうとその不動産は残されたパートナーのものになってしまう。その後、そのパートナーが亡くなった後、その不動産はその方の親族に相続されてしまうことになる。

最終的にまったく関係ない人に移ってしまうのが面白くないと遺言を知った相続人は思う。当然親族らが遺言を知るのは遺言者の死亡後である。(残された人が「死後に知る」これが良くないのではないかと思う。)

それではこのような場合はどうなるだろう?
遺言通りに残されたパートナーがその財産を取得した後、「私が亡くなった時はこの不動産を貴方方ご親族の誰かに返しますという遺言を作ります」と相続人に言って何とかその場の争いを避けようとしたとする。

はたしてそれが守られるという保証はあるのだろうかとの疑問を感じる。遺言はその人が単独でする行為であり誰かとの約束してする訳ではないので、周りの人がとやかく言えるものではない。

ここが遺言の限界のように思う。つまり民法上の限界

それでは、このような状況で信託を利用する事はできるのだろうか?利用して今以上の結果をもたらす事が出来るのだろうか?

先程の例で考えてみると以下のように信託を利用する事が出来る。
この不動産を信託財産として、自分の死後は私のパートナーが受益者としてこの不動産に住めるという受益権を取得し、受益者死亡後はこの信託を終了し、この不動産を私の親族に引き渡す。

この不動産は最終的に委託者の親族に戻ってくるという事なのです。
この様な道筋の信託を設定したとしたら委託者の親族もある程度納得し、残されたパートナーも何の不安もなくその不動産で生活する事が出来るようになるのではないかと思う。

では、いつこの信託の効力を発生させればいいのだろうか?
委託者が存命中に効力を発生させておいて親族らにある程度の認識を持ってもらう事によりその時のごたごたを回避する事も出来るし、親族らがある程度認識しているなら遺言信託でも良いと思う。それはケースバイケースでしょう。

遺言はその遺言の効力が発生する時だけ(つまり死亡したその時)権利や義務が他の誰かに移転し、そこで役目が終わるのだけれど、
信託はその信託を設定した人が死亡したとしても委任契約のように終わる事はないのである。
むしろ死亡後に本領発揮するのだと思う。

信託って凄い!
と思いませんか?

信託と遺言

最近、街を歩いている時に銀行のガラスに「遺言代用信託」という文字をよく見かけます。
つまり、相続関係において信託を利用しようというのである。
私の意見として、この事については賛成である。
自分の財産を自分の親族が受け取るのが民法の定めとなっている。
しかし相続が起った時、先ず第一に考えるのは亡くなった人の意思である。つまり遺言が第一なのである。
それがない時に民法の定めに従って行くというのが順序。
私たち日本人はどうも民法が1番目で遺言が2番目のように感じている気がする。

「お父さんが亡くなったら私は子供だから○分○もらえる」と推定相続人(お父さんはまだ死んでませんので)はまるで遺言がない事を前提に、民法の定めが第一のように考えたり話したりするのが通常のように感じる。
でも違うのである。遺言が最初なのである。
遺言に何か問題があって浸透していないのだろうか?
色々面倒、決まった書式じゃないと無効、お金をかければ立派な遺言を作れる、
昔の家督相続の流れで亡くなった人が生前に財産に関して書面に残さず、家長が遺した言葉を受け継ぐ日本人独特の習性がある
様々問題点もあるがもう1つ重要な問題もある。
『相続』ならぬ『争続』である。

現状、遺言でも民法によってもその様な問題は発生する
遺言であれば、遺言を書いたとしても相続人はその内容をお父さんが亡くなった後でしか確認する事はできない。
亡くなった後でしか確認できない』ここが問題のように思える。
例えば、お父さんが遺言を書いた事を家族に言ったとしたら推定相続人は遺言はいつでも書き換える事が出来る事を知っているので何とか自分のもらえる割合を高めようとするのは普通だと思う。
私もそのような気持ちを持つ。凡夫であり聖人じゃないもの。
その様な努力をしていざ遺言を確認すると・・・、なんと・・・という事があるのではないかと思う。

遺言ではなく民法に従って遺産分割協議書を作成するといっても『兄貴は○○もらってる』『おれはこれだけ貢献した』等々
これもまたなかなか前に進まなくなる事がよく起こるのが現状。

じゃぁ、何かほかに良い方法がないものだろうか?
『信託』の仕組みを利用してみようじゃないですか。
先程の基本的な仕組みを利用すると遺言と同じ、いやそれ以上の効果を発揮する事を殆どの日本人は知らない。
信託は
倒産隔離機能
財産承継機能
受益者保護機能
等々、遺言では到底できない事もする事が出来る。
ある意味民法の枠内であるけれど民法以上の事が出来る。これが信託だと思います。
もちろん信託を利用すれば『争続』が完全になくなるとは思わないけれども、現状維持よりはるかにグッドだと思っています。
今回の改正を契機に私達一般の日本人の生活の一部になる位に信託が浸透していったらいいなと思っています。

信託と言語

カレーと納豆のように奇妙な取り合わせのように感じますよね。
ある時ふと頭に浮かんだ事がこれだったのです。
「カレーと納豆」ではなく「信託と言語」がです。

信託において信託財産とするにはどういった条件が必要なのだろうか?

旧信託法では「財産権の移転その他の処分」とされていたものを
今回の改正により
18年信託法では「財産の管理又は処分」となっている
』の文字が消えてしまったのです。
当然の事ですが「権」を書き忘れた訳ではありません。
この事からすると、信託財産に出来るものとは以前より範囲が広がったのではないかと考える事が出来る。
お金や不動産ばかりではなく財産と呼べるものなら可能になったのだと思う。もちろん、公序良俗に違反するものはダメですけど。

財産なので経済的利益を計るうえで金銭的に見積もる事が出来なければならない事は必要でしょう。しかし、その財産を換価換金する事が出来る所までは必要がないと思うのです。
その様な事を何となく考えていた所、フワァっと浮かんできた事があるのです。

「言語」は信託財産に成り得るのだろうか?
日本人、韓国人、中国人が同時に会話をする際、どうすればお互い会話を成立させる出来るのだろうか?
普通に考えるとその担い手として「通訳をする人」が登場する。当然、この方たちはボランティアでない限り相当の報酬を得る。それも1カ国につき2人は必要となるので金銭的な負担がある。

もし、3カ国の人が1つの言語で会話をする事が出来たならどうなのだろう?
各国に通訳は1人で十分になり、更にその3カ国の当事者も共通の言語で会話をする事が出来るようになったならば通訳も必要なくなる事になる。
そう考えたら言語も経済的利益がある財産として考えてもよさそうに思う。
独断と偏見で)つまり、言語は信託財産に成り得る

では、どのような言語を信託財産にするのがいいのだろうか?

先ず第1に信託財産にする事によって誰もが『等しく』利益を享受する事が出来る言語にするという事が基本だと思う。
そう考えると一般的に言われている自然語というものはどうも相応しくないと思う。

何故ならば、ある1つの自然語を共通言語にした場合、その言語を普段使用している人にとっては何の負担もなく信託した利益を受ける事が出来るのに対して、そうでない人にとってはその言語を学ばなければならず少なくとも経済的負担が発生する。
これだと誰もが等しく利益を享受できない。

そもそも自然語と言われている言葉とは、その言葉を使っている人々の歴史の中で培ってきたものを言葉というある意味で表現し暗号化された手段だと思う。言葉が日々変化していくという事をよく耳にするけれど歴史というものが日々変化するのだから当然だと思う。
その様な日々変化している言語を日常で使った事のない人々が学ぶという事は、その言葉(単語)の歴史的背景や文化をも学ばなければならないことになるのではないかと思う。

例えば、「母」という言葉を親しみを込めて表現する場合
英語ならば『マム』、『マーム』(その他の表現は知りません)
日本語ならば『かあちゃん』『おかん』等々
これらを同じ意味で置き換えるのだけれど完全に同じに置き換えられるとは思わない。
アメリカ人が『マム』等を言葉で発する前や誰かに言われた後に、頭の中や心で感じるイメージやモヤモヤ
日本人が『おかん』等を言葉で発する前や誰かに言われた後に、頭の中や心で感じるイメージやモヤモヤ
これらは絶対に同じではないと思う。
日本人が『マム』という単語があるのを知ってアメリカ人に対して発生する場合、言う前の日本人の頭の中に浮かんでくるモヤモヤは『おかん』という単語が培ってきた所から出てくるモヤモヤであり、アメリカ人の頭の中に浮かぶ『マム』という単語からのそれとは違う。
つまり、『マム』を理解するにはアメリカ人の頭の中のモヤモヤをも理解しなければならないという事になるのではないだろうか。

そういった言葉を使用して相手に伝えるという事は並大抵のことではない大仕事なのだと思う。
そう考えるとその言葉を使う人々の歴史的背景が少ない言語、誰もが比較的易しく学べる言語、全ての人々が殆ど同じ経済的負担をして言語からの利益を享受する事が出来る言語
エスペラントを信託財産とする事は適しているのではないかと思う。

信託って?

私は今年『信託活用アドバイザー』という資格を取得しました。

というのも2,3年前にある勉強会に参加をしその講義の冒頭でその講師が
「信託というのをご存知ですか?」という問いかけから始まり
信託について簡単に説明をされました。それが信託について真剣に取り組もうと思ったきっかけです。
その時の話を聴いて僕の頭の中に稲妻のような衝撃が走りました。

「そんな仕組みがあるのかぁ、なんで知らなかったのだろう」と言った言葉が頭の中を過ぎったのを今でも覚えています。
その後色々調べてみると、欧米では信託が浸透しているという事を知り、ここでもびっくり。
私を含めて普通の日本人にとって信託は全くと行っていい程浸透していないというのが現状かと思います。

もちろん、知らず知らずのうちに信託の仕組みを使っているにはいるのですが、
正面切って信託を利用してはこなかったように思います。
何となく知っている「投資信託」「投資不動産信託」。「生命保険」も信託の仕組みそのもの。

そんな中、平成18年に「信託法」が大幅改正され現在に至っています。
それ以前の信託法はというと大正11年に制定されたっきり殆ど改正されてこなかったのです。
何と80年間。一世代前、いや二世代前と言っても過言ではない。

改正されても信託の仕組みは変わらない
『委託者』、『受託者』、『受益者』。この3者と『信託財産』
これは不変の法則。
のように思われていたのですが、実は18年の信託法改正においては『受益者』のいない信託も設定できるのである。
おかげで信託の定義が複雑怪奇になってしまった訳である。

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